オープンソース講座(1):著作権
オープンソースソフトウエア(以下OSS)の法的な根拠は特許権、商標権などの知的財産権だが、その根幹にあるのが著作権ではないでしょうか。
そこで、OSSを論ずる前に、「急がば回れ」で2回に分けてまずは著作権についておさらいをしておきましょう。
著作権とは
著作権とは、著作物を作った人が持っている権利で、他の人に勝手に使われないための権利です。
そして著作物とは、”その人の思想又は感情を創作的に表現したもの”で、文芸、学術、美術又は音楽、建築、地図、写真、プログラムに至るまでの範囲に属するものと定義しています。
具体的には
- 言語の著作物:論文、小説、脚本、詩歌、俳句、講演など
- 音楽の著作物:楽曲及び楽曲を伴う歌詞
- 舞踊、無言劇の著作物:日本舞踊、バレエ、ダンスなど
- 美術の著作物:絵画、版画、彫刻、まんが、書、舞台装置など
- 建築の著作物:芸術的な建造物など
- 地図、図形の著作物:地図と学術的な図面、図表、模型など
- 映画の著作物:劇場用映画、テレビ映画、ビデオソフトなど
- 写真の著作物:写真、グラビアなど
- プログラムの著作物:コンピュータ・プログラム
なお、事実やデータは思想や感情が含まれていないことから著作物とは言えず、アイデアや理論はそれが具体的に表現されていないと著作物にはなりません。
著作権に係る日本の行政
まずは著作権に関する日本の行政がどのような役割分担をしているのか?を見ておきましょう。
ご存知の通り、日本で著作権の保護を所掌しているのは文部科学省の外局、文化庁だが、知的財産件には産業財産権をはじめ様々な権利がある。 それぞれを権利の管轄(所掌)は下記の図のように各省庁にまたがっています。 これらを全体戦略としてまとめているのが内閣官房に紐づく知的財産戦略本部となります(後述)。
知財権に見られる縦割り行政(管轄)
知財権に関する主幹行政庁(管轄)は以下のようにわかれています。
- ①特許権、実用新案権、意匠権、商標権:特許庁
(こちらからJ-PlatPatに直接入れます) - ②著作権:文化庁
(こちらから著作権のサイトに直接入れます) - ③半導体回路配置利用権:一般 財団法人ソフトウエア情報センター(以下、SOFTIC)
(こちらから入れます) - ④育成者権(種苗法):農水省
(こちらから入れます) - ⑤不正競争防止法関連:経産省
(こちらから入れます) - ⑥商号登記:法務省
(こちらから入れます)
主旨からいうとやむを得ないのかもしれませんが、一人の人間、一つの会社の権利を守ることを考えると、縦割り的な側面を感じる方も多いのではないでしょうか。
もし、行政側がそのような機能別組織を正当化するというなら、我々一般市民としてはワンストップサービスを求めたいところですね。
統括組織は「知的財産戦略本部」
これらの縦割り組織を束ねるのが2003年に成立した「知的財産基本法」に基づき、政府全体の知的財産戦略計画を毎年作成し、知的財産に関する基本方針策定や総合調整役を担う内閣総理大臣を本部長とする「知的財産推進本部」です。
(http://www.kantei.go.jp/jp/singi/titeki2/index.html)
知的財産権に関する日本の行政はこのような体制となっていることをまずはおさらいしておきましょう。
この本部から今年も「知的財産推進計画2021」が提出されたが、いまだにフェアユース(*1)の導入すら実現できていない著作権の後進国である日本において例年になく将来の産業発展のために前向きな提案となっている点は好感できますね。
本計画書は上記のサイトからダウンロードできますが主なトピックだけ引用しておきます。
- 競争力の源泉たる知財の投資・活用を促す資本・金融市場の機能強化
- 優位な市場拡大に向けた標準の戦略的な活用の推進
- 21世紀の最重要知財となったデータの活用促進に向けた環境整備
- デジタル時代に適合したコンテンツ戦略
- スタートアップ・中小企業/農業分野の知財活用強化
- クールジャパン戦略の再構築
日本の著作権法について
著作権法の目的
日本の著作権法の「目的」は第一条に記載されています。
「この法律は、著作物並びに実演、レコード、放送及び有線放送に関し著作者の権利及びこれに隣接する権利を定め、これらの文化的所産の公正な利用に留意しつつ、著作者等の権利の保護を図り、もつて文化の発展に寄与することを目的とする」
法律の形式ですが、総則から始まり、第一条が「目的」、第二条が「定義」となっているパターンが多いので覚えておくと便利かも。
そう、著作権というとちょっと前に「違法なコンテンツのダウンロードをすると刑事罰だ!」等、何かと我々の権利が制限されるマイナス面(被害者意識?)がクローズアップされているが、その「目的」はあくまで「文化の発展に寄与すること」ということになっています。
この法律は、2021年12月時点で124条から構成されており本文の文字数は総計約73000文字。 条文の文字数に関する単純な比較はもちろん意味はありませんが、ボリューム感を直感的に把握するためにあえて紹介すると条文の文字数としては日本国憲法の約7倍です。
保護する対象が、文学、美術、映画、映像、写真からプログラムまで性質の異なるものをカバーする必要があること、そして何度も改正を繰り返してきたことなどの理由から正直言って、かなり読みにくいという印象を持ちます。
例えばプログラムに関連する条文は後付けで追加されたためか、あちこちの散らばっており探すのに一苦労します。
附則が多いことで有名な地方自治法ですが、著作権法も附則の文字数は約21000文字で本文に対する比率が約29%とその比率が高い。それだけ改正が多く行われたということでしょう。
著作権法の基本構成
法律本文の構成は以下の通りです。
・総則(1条~9条の2)
・著作者の権利(10条~78条の2)
・出版権(79条~88条)
・著作隣接権(89条~104条)
・私的録音録画補償金(104条の2~104条の10)
・紛争処理(105条~111条)
・権利侵害(112条~118条)
・罰則(119条~124条)
ちなみに文化庁のホームページにある知的財産法の部分を以下にコピペしたものを貼り付けている。 解像度が荒く、ちょっと手抜きっぽいのが気になりますね。
(出典元はここ)
著作権の歴史
時代は19世紀、英米法の著作権で認めてなかった著作人格権等を重視するフランスを中心に1886年に作成されたのがベルヌ条約で、現在これが著作権の保護を目的とした事実上の国際条約となっております。
日本の著作権法
日本では江戸時代から出版が行われていた関係で1869年(明治2年)には既に「出版条例」を規定、その後、「脚本楽譜条例」や「写真版権条例」なども制定されました。
そして1899年(明治32年)にはベルヌ条約に加盟することになり、これまでの諸条例を整理し初めて「著作権法」(「旧著作権法」)という名前の法律が制定されております。
日本が比較的早期にベルヌ条約に加盟した背景には当時の帝国主義列強から強要された不平等条約(港の開放、治外法権、関税自主権の不行使等)の解消(所謂バーター取引)があったようです。
現行の著作権法は、1970年にこの旧著作権法を全面的に改訂して制定されたもので、その後何度も改訂されています。
米国の著作権法
米国の著作権法は歴史が古く、1790年には制定されています。
その後1909年、1971年の改正を経て成立したのが現行の著作権法(1976年法)で、1988年の改正でようやくベルヌ条約との整合性が取れるようになりました。
日本と比べるとベルヌ条約の加盟がかなり遅れましたが、これはそれ以前から存在していた米国の著作権法がもともと形式主義(*1)を基本としていたということに栂なっているようです。
それに拍車をかけたのが、当時の帝国主義や大国としてのエゴだったのではないでしょうか。
ただ、米国としてもなるべく多くの国に著作権を守ってもらうことが国益にもつながるため、途上国でも導入しやすい「万国著作権法」を推進することになったようです。
米国の著作権法のもう一つの特徴が1976年の著作権法改正時に盛り込まれたフェアユース(直訳すると「公正使用」)、いかにも米国らしい考え方(*2)だが、個人的には日本にも導入すべきではないかと考えております。
以上、少し回り道をしてきましたが、著作権をどう守るかという点に関しては各国の事情などが影響したのか、ベルヌ条約が名実ともに著作権の国際法として認められるには100年以上の歳月を要した、ということになります。
(*1)方式主義と無方式主義
方式主義とは米国や南米が採用していた方式で、©マーク等の表記と登録申請しなければ著作権として保護されないというものだ。
ベルヌ条約は無方式主義、すなわち登録等を行わなくても公表した時点で著作権が効力を持つ所謂著作人格権を自然権として認めていた。
(*2)フェアユース
簡単に言うと、著作権者に無断で著作物を使用していてもその文脈の中での使い方がフェアであれば著作権の侵害とは言えない。フェアかどうかは個別事情で判断されるがその判断基準は明確になっている(目的や著作物の性質、使用の程度や影響度など)
日米コンピュータ競争と著作権法
前稿で日米の著作権法の歴史の話を簡単に触れたが、プログラムが著作物として法律で保護されるようになったのは米国が1980年、日本が1985年です。
この時期にプログラムにも著作権が認められるようになったのはまさしくその時代が求める必然でした。
当時のメインフレームの市場は1960年~1970年代にかけてIBM(System/360等)がほぼ独占状態、価格も強気の設定がされ次期の研究開発に潤沢に資金が供給されるという、まさに名実ともに理想的なコンピュータの王者になっていました。
欧米や日本のメインフレームメーカーがそれに立ち向かうにはIBM機で動作するミドルウエアやアプリケーションがそのまま動作する互換機を低価格で提供することで対抗する、いわゆる「互換機ビジネス」を進めていく以外に選択肢はなかったといっていいでしょう。
日本勢が初めてIBMに戦いを挑んだのが富士通のMシリーズで1975年に発売している。 もちろん、日立、NEC、東芝、三菱電気等がそれに続きました。
そのような中で米国では1790年に制定された「旧著作権法」を大幅に改定した「現行著作権法(米国1976年法)」を成立させたのが、富士通参入の翌年1976年だったというのも米国の用意周到さが見え隠れしますね。
まあ当時のIBMのメインフレームは国益に直結していたことを考えるとさもありなんということでしょうか。
そして、更にその4年後の1980年には米国で初めてプログラムを著作権法で保護するという法改正を行っています。
これでIBMのSystem/360をはじめとしたメインフレームのすべてのプログラムは法律で守られることになったわけで、この時にはさすがに各国の「互換機メーカー」から非難の声があったようですが、米国にとってはある意味内政干渉、「大きなお世話」ということだったわけです。
IBMスパイ事件とは
そのような時代背景の中でかの有名な「IBMスパイ事件」がおきてしまいます。
その経緯を年別に整理してみましょう。
1980年
米国で初めてプログラムを著作権法で保護するという法改正を行った。
1981年
互換機メーカーが台頭を始め、次第に追い上げられたIBMが満を持して発表したのが超大型機3081K (System/370-XA)で、互換機メーカーの解析が困難になるような対抗手段、すなわちOSのファームウエア化や熱伝導モジュールが搭載された。
1982年
日立製作所(以下、日立)は米国の取引先N社から3081Kの技術文書を入手するところまでは予定通りといったことろだろう。
しかしその後、同じく取引のあった米国のコンサル会社P社(社長は元IBM社員)の巧みな交渉により、日立がすでに新型機の技術文書を保有していることIBM社に通報されてしまう。
そこからIBMと組んだFBIが「おとり捜査」を実施、何も知らない日立は見事に引っかかり組織ぐるみの犯行であることが動かぬ証拠をもって立証されてしまい日立の工場長を含む6名の社員に逮捕状がでてしまった(三菱電機の社員も一人逮捕)。
これがIBMスパイ事件のダイジェストです。
立法府、行政(FBI)、民間(IBM、IBM系コンサル会社)の絶妙な協力関係、結束力は見事だとは思いませんか。
しかし時代背景や国益などを考慮すると順番はともかくこのような衝突が起きるのは必然だったのかもしれません。
1983年
日立は1983年2月に刑事事件を司法取引により解決、10月には民事も起きたが、損害賠償と5年間の監視期間を設定するなどの条件で和解した。
その後は日立製作所はIBMとの提携路線に転じてIBM互換ビジネスをむしろ拡大していった。
一方富士通はIBMができたばかりの著作権法を盾に提訴していることを日立などより先に察知ており1982年年末よりIBM社と極秘裏に交渉を繰り返し1983年に日立と同等の協定を締結したとされている。
興味深いのは「あらゆるソフトウエアは自由に利用すべき」という理念もとにオープンソースソフトウエアを推進する団体GNUプロジェクトが米国で生まれたのもこの年、翌年の1983年だった。
1984年
この年、富士通は協定違反を指摘されてからは対決姿勢を鮮明にした結果、4年後の1988年にようやく和解をしているが、当然互換性確保は限定的となっていく。日本電気はACOSシリーズを継続しながら開発の比重をオープンシステムに移していった。
1985年
IBMと富士通が係争中のこの年に、日本でも著作権法の対象としてプログラムを追加することになったのも自然な流れであろう。
ただ、コンピュータはIBMにやられた企業たちがより使いやすく安価なミニコンやワークステーションを生み出し、更にビルゲイツ氏やスティーブジョブス氏が個人用コンピュータ(パソコン)というイノベーションを起こしていく。
1990年代にはパソコンが爆発的に普及したこともありかってのメインフレームは次第に存在感が薄れて行き、IBMは次第にサービスビジネスにシフトしていかざるを得なくなる、というのも時代の必然だったのではないでしょうか。
次稿では、日本の著作権法の中でプログラムの保護がどのような条文から構成されているのかを簡単にみていきましょう。
(続く)
ケニー狩野(中小企業診断士、PMP、ITコーディネータ)
キヤノン(株)でアーキテクト、プロマネとして多数のプロジェクトをリード。
現在、株式会社ベーネテック代表、株式会社アープ取締役、一般社団法人Society 5.0振興協会評議員ブロックチェーン導入評価委員長。
これまでの知見を活かしブロックチェーンや人工知能技術の推進に従事。趣味はダイビングと囲碁。
2018年「リアル・イノベーション・マインド」を出版。