AIが変えるセキュリティ|ゼロトラスト・RBVM・最新脅威を徹底解説
「2024年10月のハロウィーン週、Cloudflareは史上最大となる5.6Tbps(テラビット/秒)のDDoS攻撃を検知・緩和しました。この巨大な攻撃はCloudflareの分散型防御システムによって人間の介入なしに完全に阻止され、パフォーマンスの低下も引き起こさなかったと報告されています。約13,000の異なる送信元IPアドレスから実行されたこの攻撃は、高度な自動検知・緩和技術の重要性を改めて浮き彫りにしました。」
(出典1: https://blog.cloudflare.com/ddos-threat-report-for-2024-q4/)
このように、サイバー攻撃が前例のない規模と複雑さで企業の存続を脅かす今日、AI(人工知能)技術はサイバーセキュリティの最前線で重要な役割を担いつつあります。
デジタルトランスフォーメーション(DX)が加速する中、従来の防御手段だけでは対応できない新たな脅威の時代に突入しています。
AIは膨大なデータから即座にパターンを検出する能力や、複雑な判断を自動化する機能を通じて、サイバーセキュリティの防御能力を飛躍的に向上させる可能性を秘めています。
IDC社が2024年9月に発表した「The Global Impact of Artificial Intelligence on the Economy and Jobs」レポートによれば、AIは2030年までに世界経済に19.9兆ドルの価値をもたらし、世界のGDPの3.5%を占めるとされており、その成長曲線は2025年頃から急激に上昇していく見込みです。
(出典2: https://www.idc.com/getdoc.jsp?containerId=prUS52600524)
ゼロトラスト:進化し続けるセキュリティの基本理念
ゼロトラストとは、「何も信頼せず、常に検証する」という原則に基づくセキュリティの考え方です。従来の「城壁型」防御(組織の境界を守れば内部は安全という発想)とは根本的に異なり、ネットワーク内外を問わず、すべてのアクセスを疑い、継続的に検証する方法です。
この概念自体は2010年頃から提唱されてきましたが、クラウド化やリモートワークの拡大、IoTデバイスの増加に伴い、従来の境界防御の限界が明らかになるにつれて重要性が高まってきました。近年のランサムウェア攻撃の増加や高度化する標的型攻撃の前に、「内部は安全」という前提は完全に崩れたのです。
ゼロトラストの実装には、デバイス認証、多要素認証、最小権限の原則、マイクロセグメンテーション(ネットワークを細かく分割し、セグメント間の通信を制限)などの技術要素があります。いずれも「信頼せず、常に検証する」という基本思想に根ざしています。
IDCの最新調査によれば、2025年のセキュリティ対策においても「ゼロトラストモデルのさらなる浸透とセグメンテーション」が最重要ポイントの一つに挙げられています。
AI時代の新たなセキュリティ技術や脅威が出現する中でも、ゼロトラストという基本理念は今後も主軸であり続けると見られています。その実装方法は技術の進化と共に洗練されていきますが、「信頼せず、検証する」という根本思想は変わらないのです。
AI時代のサイバーハイジーン:防御の基本理念
AI技術が日々進化し、複雑な脅威が増加する中、組織のセキュリティ対策においては「基本の徹底」という普遍的な原則が一層重要性を増しています。
サイバーハイジーンは、日常的な「デジタル衛生管理」として位置づけられ、先進的なAI防御技術の効果を最大化するための不可欠な基盤となっています。
サイバーハイジーンの考え方は、「防御の深さ(Defense in Depth)」という多層防御の原則に基づいています。すなわち、いかに高度なAIセキュリティ技術を導入しても、基本的な防御層に脆弱性があれば、その効果は大幅に減少してしまうのです。
特にAI環境では、従来型の脅威とAI固有の脅威の両方に対処する必要があり、この基本防御層の重要性はさらに高まっています。
Gartnerの最新レポートによれば、多くの組織がAIセキュリティの高度な対策に投資する一方で、基本的なセキュリティ対策の徹底が不十分なために、結果として効果的な防御が実現できていないケースが少なくありません。AIが変革をもたらすサイバーセキュリティの未来においても、「基本を固め、その上に先端技術を構築する」という段階的アプローチが成功の鍵となるでしょう。
エージェント型AIの台頭と新たなセキュリティ課題
AI技術は、単に脅威を検知・分析するツールから、自ら判断し行動する「エージェント型AI」へと進化しています。これはセキュリティ対策の自動化・高度化に大きく貢献する可能性を秘める一方で、新たな管理上の課題も提起します。
自律性に伴うリスクとAIガバナンスの必要性
自律的に動作するAIエージェントは、時に意図しない情報へアクセスしたり、設定ミスや外部からの操作によって予期せぬ動作(機密情報の漏洩、不正なシステム変更など)を引き起こしたりするリスクを内包します。
このため、AIの行動範囲、判断基準、アクセス権限などを明確に定め、適切に管理・監視するための枠組み、すなわち「AIガバナンス」の確立が不可欠となります。
連携・協働するAI:「AI agent fleet」
さらに近年では、単体のエージェントだけでなく、複数のAIエージェントがそれぞれの専門性を持ち寄り、連携して脅威に対応する「AI agent fleet(AIエージェント群/艦隊)」というアプローチが研究・実証段階から徐々に実運用フェーズへと進みつつあります。
MicrosoftのSecurity Copilotや、Google DeepMindによるエージェント協調モデルなど、商用システムへの実装例も報告され始めています。
これは、あたかも人間の専門家チームのように機能し、単一のAIでは対応が難しい複雑・巧妙な攻撃に対しても、より迅速かつ柔軟な防御を実現することを目指すものです。
例えば、あるエージェントが初期潜入の兆候を捉え、別の分析特化エージェントが即座にリスクを評価、さらに関連情報を基に対応特化エージェントがSOARプラットフォームと連携して封じ込めを実行する、といった高度な協調動作が期待されます。
既存原則との融合:ゼロトラストとサイバーハイジーンの重要性
このような自律・連携型のAIが安全かつ効果的に機能するためには、これまで述べてきた基本的なセキュリティ原則との融合が鍵となります。AIエージェント同士の通信や、エージェントからシステムへのアクセスに対しても、「何も信頼せず、常に検証する」というゼロトラストの考え方を適用し、厳格な認証・認可を行う必要があります。
また、AIエージェントが動作する基盤(OS、ネットワーク、クラウド環境など)自体のサイバーハイジーン(適切なパッチ適用、アクセス管理、設定管理など)が徹底されていなければ、エージェント自体が乗っ取られたり、悪用されたりするリスクが高まります。
エージェント型AIの活用は、サイバーセキュリティを「受動的な防御」から「能動的・協調的な防御」へと進化させる可能性を秘めていますが、その実現には、AIガバナンスの整備と、ゼロトラストやサイバーハイジーンといった揺るぎない基盤との緊密な連携が不可欠なのです。
2025年のセキュリティ対策における重要ポイント
IDCの調査によれば、2025年のセキュリティ対策における重要ポイントとして、以下の4つが挙げられています。
ゼロトラストモデルのさらなる浸透とセグメンテーション
先述のゼロトラスト原則に基づき、より細かなセグメンテーションと継続的な検証が標準となります。
事後対応の強化と同時に事前対応の強化/アップデート
インシデント発生後の対応だけでなく、予測と予防に重点を置いたアプローチが重要になります。
セキュリティ対策としての可視化/オブザーバビリティ
複雑化するシステムの全体像を把握し、異常を早期に検知する能力が不可欠です。
AI活用に失敗しないためのセキュリティ対策
AIモデル自体や学習データの保護が新たな防御領域となります。
AI駆動型セキュリティ技術の最前線
AIは既に多くのセキュリティ技術の中核となっています。注目すべきは次の技術です。
SOAR (Security Orchestration, Automation, and Response)は、セキュリティインシデント対応プロセスを自動化・連携させるフレームワークです。検知から復旧までの一連のプロセスを統合し、対応の迅速化と人的ミスの削減に貢献します。
RBVM (Risk-Based Vulnerability Management)は、脆弱性をリスクの大きさに応じて優先順位付けするトリアージ的な手法です。
AIの分析能力を活用し、限られたリソースで最大限のセキュリティ効果を発揮します。
【運用面の考慮点】
なお、SOARやRBVMといったAI駆動型技術を導入し、その効果を最大限に引き出すためには、単にツールを導入するだけでなく、既存のセキュリティ運用プロセスを見直し、AIの分析結果を判断・活用できる人材の育成や、場合によっては組織体制の再設計も必要となる点に留意が必要です。
AI時代の新たな脅威ベクトル
一方で、AIの進化は新たな脅威ベクトルも生み出しています:
敵対的攻撃 (Adversarial Attacks)は、AIモデルを意図的にだまして誤った判断をさせる攻撃手法です。画像認識AIへの微細な改変や、大規模言語モデルへのプロンプト操作などが代表的な例です。
モデルインバージョン攻撃 (Model Inversion Attack)は、AIの応答や挙動を分析することで学習データを復元する攻撃です。個人情報や企業機密の漏洩リスクをもたらします。
前半のまとめ:基本原則と新たな潮流
AIとサイバーセキュリティの関係は、単なる技術革新の枠を超え、互いに影響を与えながら進化する「共進化」の段階に入っています。SOARによる対応自動化、RBVMによるリスクベースのアプローチ、そしてエージェント型AIによる自律・協調防御といった技術的な進歩は、それ単体で完結するものではありません。
これらの先端技術は、ゼロトラストという揺るぎない基本理念と、サイバーハイジーンという日々の実践、そしてAIの適切な利用を担保するAIガバナンス、さらには技術を使いこなす組織的な対応力(人材・プロセス)といった強固な基盤があってこそ、初めて真価を発揮し、持続可能なセキュリティ体制へと繋がります。
特に、ゼロトラストという10年以上にわたって発展してきた基本理念は、AIによって環境が変化する中でも、変わらず重要な指針であり続けます。その実装方法や技術要素はAIと共に進化していきますが、「信頼せず、検証する」という核心的な思想は今後も変わらないでしょう。
同時に、敵対的攻撃やモデルインバージョン攻撃など、AIモデルそのものを狙う新たな脅威も現実のものとなっており、AIセキュリティは防御だけでなく、AIシステムの設計段階からの対策(Security by Design, Privacy by Design)も求められる、より複雑な局面を迎えています。
この急速な変化に対応するためには、技術的な先進性だけでなく、組織としてのガバナンス体制の構築、実践から得られる知見の蓄積、そして継続的な学びとアップデートが不可欠です。
企業や組織のIT担当者、セキュリティ専門家、経営層、そしてAIサービスを利用する私たち一人ひとりが、本稿で解説したSOAR、RBVM、敵対的攻撃、モデルインバージョン攻撃、サイバーハイジーン、AIガバナンスといった概念とその相互関係を理解し、日々進化する脅威と技術動向に備えることが、AIの可能性を安全に、そして最大限に活かすための鍵となるでしょう。
次章では、これらの重要技術や概念について、さらに詳しく解説していきます。
個別技術ガイド(AIセキュリティ)
:専門用語をわかりやすく解説
SOAR (Security Orchestration, Automation, and Response)
SOARとは、セキュリティインシデント対応プロセスを自動化・連携させるための先進的なフレームワークです。 セキュリティ運用チームが直面する膨大なアラートや複雑な脅威に効率的に対応するため、オーケストレーション(連携)、オートメーション(自動化)、レスポンス(対応)の3要素を統合しています。
図解が示すように、SOARのプロセスは4つの主要フェーズで構成されています。
左から右へと流れる青色のボックスは、インシデント対応の一連のステップを表しています。
「検知」フェーズでは不審なログインやアラート発生を捉え、
「分析」フェーズではログの相関分析や脅威情報との照合が行われます。
「対応」フェーズではアクセス遮断やチケット発行などのアクションが実行され、
「復旧」フェーズではシステム復元や報告書生成が行われます。
これらのプロセス全体を支える基盤として、図の下部にはオレンジ色の「自動化プラットフォーム」層と水色の「統合システム」層が示されています。
SOARの真価は、SIEM、脅威インテリジェンス、ファイアウォール、エンドポイント保護などの多様なセキュリティツールを連携させ、一貫したワークフローで自動対応できる点にあります。
例えば、ある大手コンサルティングファームの事例では、SOARとSIEMを連携させることでインシデント対応プロセスを自動化し、従来多くの時間を要していた対応時間を、驚くべきことにわずか「10分の1以下」へと劇的に短縮することに成功しています(※下記出典3参照)
このように、SOARはセキュリティ対応の自動化によって人的ミスを減らし、対応時間を大幅に短縮することで、組織のセキュリティ体制強化に貢献しています。
(※出典3:DX時代におけるサイバーセキュリティ対策の全体像と最新動向 第3回:SOARを用いたセキュリティインシデントへの自動対応 )
RBVM (Risk-Based Vulnerability Management):
RBVMとは、脆弱性をその「リスクの大きさ(悪用される可能性や影響度)」に応じて優先順位をつけ、効率的に対応する脆弱性管理手法です。AIを活用し、限られたリソースで最大限にセキュリティリスクを低減します。
RBVMの基本的な考え方
RBVMは従来の脆弱性管理手法を進化させた概念で、単にCVSS(Common Vulnerability Scoring System)スコアだけでなく、実際の脅威状況や資産の重要度を組み合わせて総合的なリスク評価を行います。Tenableの調査によれば、RBVMは「企業にとって最大のリスクとなる上位3%の脆弱性を特定できるため、脆弱性対応の負担を約97%削減できる」可能性があります。
(出典4: Risk-Based Vulnerability Management Principles)
【経営者向けポイント】
RBVMは、「すべての脆弱性に同じリソースを割くのではなく、最も重要なリスクに集中投資する」という経営的観点からも理にかなったアプローチです。限られたセキュリティ予算と人員を最大限に活かすための戦略的ツールと言えます。
●実践チェックリスト
□ 自社システムの資産価値を「事業継続への影響度」で評価していますか?
□ 検出された脆弱性に優先順位をつける基準を明確にしていますか?
□ 脅威インテリジェンスを収集・活用する仕組みがありますか?
2. RBVMの導入事例(大手小売企業のケース)
2.1 導入前の課題と従来の対応方法
- 課題: 毎月数千件の脆弱性が検出され、限られた人員・時間での対応に限界があった。
- 従来の方法: 発見順で対応するため、重要システムの修正が遅れ、軽微な脆弱性にも時間をとられていた。
2.2 RBVM導入後の対応プロセス
AIが脆弱性を自動分析し、以下の項目からリスクスコア(優先度)を算出して対応計画を作成:
- 脆弱性の深刻度(CVSSスコア)
- 実際の悪用可能性と難易度
- システムのビジネス価値
- 保有データの機密性
- 外部からのアクセス可否
優先度 | 対応期限 | 対象の脆弱性例 |
---|---|---|
優先度1 | 即時対応 | 外部公開システムのリモートコード実行の脆弱性 |
優先度2 | 3日以内 | 顧客データに影響する内部システムの重大脆弱性 |
優先度3 | 2週間以内 | 限定的影響の内部システム脆弱性 |
優先度4 | 計画的修正 | 軽微な影響の脆弱性 |
2.3 RBVM導入による期待される効果
RBVMの導入により、以下のような効果が期待できます:
- 重要な脆弱性への対応時間の大幅短縮
- 限られたリソースでの修正効率の向上
- 優先順位の明確化による対応プロセスの効率化
- セキュリティインシデント発生リスクの低減
最新の調査では、適切にリスクベースアプローチを実装した組織では、対応効率が最大で数倍に改善されたケースも報告されています。ただし、具体的な改善率は組織の環境や実装方法により大きく異なります。
RBVMの実装ポイント
効果的なRBVMを実現するためには、以下の要素が重要です:
- 資産の棚卸しと重要度評価:どのシステムやデータが最も重要かを明確にする
- 脅威インテリジェンスの活用:実際に悪用されている脆弱性情報を収集・分析する
- ビジネスコンテキストの考慮:組織特有の事業要件やリスク許容度を反映させる
- 自動化とAIの活用:膨大な脆弱性情報を効率的に処理するための技術導入
RBVMは単なるツール導入ではなく、組織全体のセキュリティ対策プロセスを変革する取り組みです。継続的な改善と状況に応じた柔軟な対応が成功の鍵となります。
敵対的攻撃 (Adversarial Attacks)
敵対的攻撃とは、AI(人工知能)モデルを意図的にだまして、誤った判断や意図しない動作を引き起こさせる攻撃技術の総称です。人間には気づかないような巧妙な方法で、AIの「弱点」や「盲点」を突いてきます。
古典的な例(画像認識AIなど):
例えば、画像認識AIに対して、元画像に人間ではほとんど見分けがつかないような特殊なノイズ(摂動)をわずかに加えます。すると、AIはその画像を全く違うものとして誤認識してしまうことがあります(例:パンダの画像をテナガザルと判断する)。
大規模言語モデル(LLM)に対する攻撃:
近年注目されているLLMに対する敵対的攻撃では、主にプロンプト(AIへの指示や質問)に巧妙な細工を施します。これにより、通常なら答えないはずの不適切な情報を引き出したり、全く文脈に合わない応答をさせたり、安全機能を回避させたりします。
このようなLLMへの攻撃が可能になるのは、以下の要因が複合的に作用するためです:
- 高次元空間での鋭敏さ: LLMは言葉を高次元ベクトルで表現しており、人間には些細なプロンプト変更でもAI内部の状態が大きく変化し、予期せぬ応答につながることがあります。
- アテンションメカニズムの誘導: プロンプト中の特定の悪意ある文字列が、AIが応答生成時に注目する箇所(アテンション)を不適切に誘導し、本来の指示から逸脱させてしまうことがあります。
- 学習データと目的関数の限界: AIは統計的に「ありそうな」応答を生成するように学習しますが、これが人間の意図や安全性と常に一致するとは限りません。巧妙なプロンプトはこの限界を利用し、不適切な応答が生成されやすい文脈を作り出します。
- 安全機能の回避(脱獄): 役割演技をさせるなど特殊なプロンプトを用いることで、LLMに組み込まれた有害応答を防ぐための安全機能をすり抜け、「脱獄」させて禁止された応答を引き出そうとします。
共通する本質と脅威:
画像認識への攻撃もLLMへの攻撃も、AIが人間とは異なる方法で情報を処理・学習している点や、その内部メカニズムに存在する「脆さ」や「抜け穴」を悪用するという点で共通しています。
敵対的攻撃は、自動運転、医療診断、セキュリティシステム、そして対話AIなど、AIが活用される様々な分野で信頼性や安全性を脅かす深刻な問題であり、その防御手法の研究開発が急務となっています。
モデルインバージョン攻撃 (Model Inversion Attack)
モデルインバージョン攻撃とは、AI(人工知能)の応答や挙動を分析することで、AIが学習した元データ(個人情報など)を外部から推測・復元し、不正に情報を取得する攻撃手法です。AIが学習した内容を「記憶」として外から覗き見る行為であり、個人のプライバシー情報や企業の機密データが漏洩する重大な脅威として問題になっています。
攻撃の仕組みと情報漏洩の理由
攻撃者は、学習済みAIの応答や内部の挙動を観察・分析します。例えば、AIに様々な質問を投げかけたり、特定のデータを入力したりした際の反応の「クセ」を見つけ出します。そのクセを手がかりにして、「このAIは学習データとしてこんな特徴を持つデータを使ったのではないか」と元のデータを逆算して推測・復元しようとします。AIが学習データの特徴やパターンを内部に「記憶」しており、特に特定のデータを強く記憶しすぎていたり、応答自体に元のデータのヒントが含まれていたりすると、情報が漏洩しやすくなります。このように、AIの「記憶」の断片が外部から推測されてしまうのです。
どんな危険があるのか?
この攻撃による最大の危険は、学習に使われた個人の顔写真、氏名、病歴といった機密性の高いプライバシー情報や、企業独自の重要なデータが外部に漏洩してしまうリスクです。これは個人の尊厳や企業の競争力に関わる問題であり、AIを利用したサービスや技術全体への信頼を大きく揺るがしかねません。
どうすれば防げるのか?対策の考え方
モデルインバージョン攻撃のリスクを低減するには、多層的な対策が不可欠です。以下のステップを基本としたセキュリティ設計が推奨されます:
モデルインバージョン対策:3つの柱
- 匿名加工処理の導入
→ 個人特定情報を排除し、データから特定個人を推測できないようにする。 - 差分プライバシーの適用
→ 学習結果に統計的ノイズを加え、特定データの影響を隠蔽。 - 連合学習の活用
→ データを中央に集約せず、分散したまま安全に学習を行う。
これらの技術は単独ではなく、目的や環境に応じて組み合わせて設計することが鍵です。
サイバーハイジーン(Cyber Hygiene)
サイバーハイジーンとは、サイバー空間における「衛生管理」のことです。日々の健康管理で行う手洗いや整理整頓のように、OS・ソフトウェアの更新、強力なパスワード管理、多要素認証の利用といった基本的なセキュリティ対策を習慣として実践することを指します。
これはAI技術そのものではありませんが、AIの活用が進む現代において、その重要性はむしろ増しています。理由は以下の通りです。
- AIシステム保護の基盤: AIシステムもコンピューター上で動作するため、基本的なハイジーン(OS更新、アクセス管理等)が不十分だと、AIモデルや学習データ自体が攻撃されるリスクが高まります。
- AI利用攻撃への対抗: AIによって巧妙化するフィッシング詐欺などに対し、「不審なメールを開かない」といった基本的な注意や対策が有効な防御策であり続けます。
- AIツールの安全利用: AIサービスを安全に使うためのアカウント管理などにも、サイバーハイジーンは不可欠です。
高度なAIセキュリティ技術や対策も、このサイバーハイジーンという土台があって初めて真価を発揮します。AIを安全に活用し、AIを用いた脅威から身を守るためにも、「基本の徹底」がいま改めて重要になっているのです。
まとめ|AI時代のセキュリティ戦略
AIとサイバーセキュリティは「共進化」し、防御(SOAR、RBVM、エージェント型AI)と脅威(敵対的攻撃、モデルインバージョン攻撃)の両面で変化が加速しています。この急速な進化に対応し、AIの恩恵を安全に享受するための鍵は、単一の技術に依存することではありません。
それは、「先端技術」の活用、「基本原則(ゼロトラスト、サイバーハイジーン)」の徹底、そして「組織的基盤(AIガバナンス、人材、プロセス)」の確立という三位一体の戦略です。特に、ゼロトラストの理念はAI時代においても揺るぎない指針となります。
これらの要素とその相互関係を深く理解し、組織全体で継続的に実践・改善していくこと。それこそが、複雑化する脅威から身を守り、AIの可能性を最大限に引き出すための必須条件と言えるでしょう。
以上
ケニー狩野(中小企業診断士、PMP、ITコーディネータ)
キヤノン(株)でアーキテクト、プロマネとして多数のプロジェクトをリード。
現在、株式会社ベーネテック代表、株式会社アープ取締役、一般社団法人Society 5.0振興協会評議員ブロックチェーン導入評価委員長。
これまでの知見を活かしブロックチェーンや人工知能技術の推進に従事。趣味はダイビングと囲碁。
2018年「リアル・イノベーション・マインド」を出版。